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〜脳神経外科〜

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3 望みを託して

 

 「高圧酸素療法をやります」と術後6日目から右眼失明の回復に望みが託された。治療場所は救命救急センターであった。

 

 退院後のある日TVで紹介された部屋である。余談だが、ある日若い医師が両開きのドアを足で蹴るように開けて入っていった。何と行儀の悪い医者だとその時は思った。

 

 しかし後日TVドキュメンタリーをみて少しうなずけた。救命救急センターの医師は長時間かつ緊急対応を必要とする過酷な勤務である。運び込まれたその場で手術することもある。手術時は両手を消毒した医師が周囲の物に手を触れることがタブーであり、その習性だったのかなと振り返った。

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 高圧酸素療法は理学療法士が担当した。「カプセルに入り、2気圧まで上げます。気圧を上げる時に耳抜きをしてください」と説明を受けた。

 

 少年時代に水泳に親しんだことが役立って耳抜きは難しくなかった。しかし、左耳が抜けにくいことを私は分かっていた。10数年前にスキューバダイビングした時の記憶が蘇った。その体験を思い出しつつ左耳に集中したので最初からうまく行き、理学療法士も絶賛していた。

 

 高圧酸素のカプセルは実に狭く、仰向けに寝たまま寝返りもできなかった。透明ガラスで覆われたカプセルの横で理学療法士が見守っているが、気密を確保するために療法士との会話はマイクを通す仕組みになっていた。この状態で1時間過ごすのは辛いことである。

 

 それを和らげるためにミュージックサービスがあったが、お世辞にも聞きやすいと言える設備ではなかった。しかしないよりはましであり、私はジャズを中心にリクエストした。たまにはボーカルを聞きたいと思ったが好みのものがなかった。入院生活中なぜか、静かな女性ボーカルを聞きたいと度々思ったものである。

 

 うまく行っていたはずの耳抜きにある日支障が生じた。脳血管撮影をした日のことである。泳ぐ時に水が入りやすかった左耳がうまく抜けないのである。痛みを感じたのでその日は早めに切り上げてもらった。この影響かどうかは定かでないが、後日左の聴力低下が生じた。

 

 「何か変化がありましたか」と聞かれるが期待かなわず1週間経過した。「1週間で効果なければ残念ですがこれ以上続けても効果ありませんので中止します」と高圧酸素療法は終わり、望みはかなわなかった。視神経損傷後5時間経過すると回復は困難だという医師の話のとおりかと落胆した。

 

 しかしそれから1週間くらい後、閉じたままの右眼瞼が開くようになったのである。まばたきできるようになり、眼球を上下と内側に動かせるようにもなった。動眼神経が蘇ったのであるが、外転神経の回復には到らず、右眼球を外転することはできなかった。この回復が高圧酸素療法の効果かどうかは不明だった。

 

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